イエローナイフは朝

それが人生

日記

ここ最近仕事が立て込んでいる。

やたらと大きな葬儀が入って、連日準備のために遅くまで残業している。その準備のために他の業務も遅れており、簡単にいうと軽い地獄のような有様になっている。

世の中は三連休らしく、三連休の友人からやたらLINEが届くのだが、返事をしていない。そもそも「解放された、三連休だ〜!」とメールがきて(厳密にはLINEなのだがどうしてもメールと言ってしまう)、「こっちは仕事だ」と言った後に「へへーん、頑張れ」と言うやつに打つ言葉はない。そもそも別に友人でもないし会ったこともない人間なのでもう面倒になった。

人付き合いをしたいのかしたくないのかよくわからない。一人だと寂しい気もして誰か隣にいてほしいと思うけど、その労力を割けない。そもそも葬儀屋は友人を失くす業界であって、急な仕事しか存在しないので、次の日急遽出勤というのもザラにある。約束は常にドタキャンの可能性を秘めてるし、土日休みは存在しない。年末年始もゴールデンウィークもお盆もない。365日24時間電話対応。困った時はいつでもお電話お待ちしております。

人生に疲れてるような気もする。それでも、新しい服を買えば気分は明るくなるし、美味しいものを食べに行きたくなるし、ゆっくり旅行もしたい。その時間は作ろうと思えば作れるのかもしれない。ただ、服を買っても着る機会は仕事で潰れていくことが多いし、美味しいものを食べに行くよりも家で簡単に済ませて寝たいし、旅行に行くためにシフトを調節するのがしんどい。こうして全て仕事のせいにしている自分も虚しい。

それに、こんなことを言っていても結局仕事は好きだし、辞めたいことはあっても結局葬儀に携わりたいのだから、何も変わらない。変えようとしていないのだし。

来年は、自分の時間を大切にしたい。本を読んで、映画を見たい。日記をつけて、その内容を書き留めてみたい。自分の糧になるようなことをしたい。それが、今年も自分を酷使した自分へのご褒美だと思う。

深夜の散歩

眠れないということがほとんどない。

大抵は仕事で疲れて、ご飯を作って、お風呂に入ったらそのままベッドに倒れ込む。

休みの日でも、本を読んだり映画を見てだらだらと過ごしても夜は眠くなるし、たまに友人と飲んで帰りが遅くなれば、酒の力でたちまち眠くなる。

だけど、もしいつか、眠れないなんてことがあったら、深夜に散歩に行ってみたい。

今なら寒くなってきたから、コートを着て、歩きやすい靴を履いて、そっと扉を開ける。音を立てないように鍵を閉めて、息が白いことに驚くかもしれない。

静まり返った住宅街の中に立っている電灯がジリジリ音を立ててるのを聞きながら、昔よく遊んだ公園まで歩く。ものの数分もかからない。真っ暗な公園の真ん中に街灯があって、そこの周りだけ明るい。

数少ない遊具の一つ、ブランコに乗ってみる。自分の背が伸びたから小さく感じる。漕ぎ出したら、きっとギィギィ音がすると思う。もうあの公園の遊具は古いから。あとは滑りの悪い滑り台と、曲がった鉄棒と、小さな砂場しかない。

ブランコに飽きたら、公園を出る。住宅街を出て、大通りに出る。車道を照らす濃いオレンジ色の街灯を見る。信号機は深夜だからきっと点滅を繰り返している。

しばらく歩いたら、歩道橋がある。小学生の頃に登下校のルートだった歩道橋だ。昔より体力が落ちたから、登ったら息が切れるかもしれない。それとも、意外に短いことに気付くかもしれない。上に着いたら、車が通らない真っ暗な車道を見下ろす。柵に寄りかかりながら煙草を吸うのも良いかもしれない。母が病気になった時にやめたけど、時々吸うと美味しく感じる。

煙草の煙を吐きながら、空を見る。星が出ているか、曇っているか。曇っていてほしいと思う。天気の中で一番曇りが好きだから。

煙草を吸い終わったらまた歩き出す。歩道橋を降りて、車道沿いに歩きながら、また住宅街の中へ戻るルートに向かう。そっちの道は街灯が少なくて真っ暗の場所があるので、ゆっくり歩く。その頃になったら体が大分冷えてるかもしれない。

そうしてまた少し歩けば、家が見えてくる。きっと全部で20分もかからない。鍵をそっと開けて、音が立たないように玄関を閉める。冷たい体のままベッドに入って、あたたまるまでじっと待つ。そうしてる間に瞼を閉じて、何も考えずに睡魔が襲ってくるのを待つ。

そんな散歩をしたいと、ずっと考えている。

亡くなった母のことを考えている時

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

 

あまりマメな性格ではないので、ブログも毎日のようには書かない。

仕事が立て込んで、疲れて帰ってくればそのままベッドに倒れ込むし、新しいゲームを買ったらのめり込むし、好きな漫画や本を読んでいればそちらに集中してしまう。

それでも、時々こうやって書きたくなる時は、母のことを考えている時だ。

 

母が亡くなって、ちょうど今日で2年。

2年前の11月2日のことはよく覚えている。午前10時10分に会社に電話があった。私は別の電話に出ていて、先輩が電話を取った。私が電話を切ると、先輩が切羽詰まった顔で「病院から電話だよ」と伝えてくれた。

「お母様の容体が急変したので、すぐに病院に来てください」と言われた。

受話器を持つ手が震えた。すぐに行きますと返事をして切って、顔を上げたら皆がこちらを見ていた。ぱっと上司の方を向いたら、「行ってきな」とすぐに言ってくれた。荷物をまとめている間に涙が止まらなくなっていた。会社を飛び出す前に別の上司に「とにかく事故を起こすな、ゆっくり行け」と何回も言われたけど、うまく返事が出来なかった。

会社から病院までは車で30分で、毎日のように通っていたけど、あんなに長い30分は経験したことがなかった。前の車が遅くてスピードが出せなかったから、事故に遭わずに済んだのだと思う。泣きながらハンドルを握りしめて、早く、早く、と何度もつぶやきながら走っていた。

病院に着いて、母の病棟まで走って、部屋に駆け込もうとしたら先生が部屋の前に立っていて、「あっちです」と指をさされた。母は移動されて集中治療室のような場所にいた。要は、そういうことだった。

部屋に入ったら、先に兄がいた。泣いていた。急いで母のそばに寄ると、目をつぶって浅く息をしていた。「お母さん、お母さん」と声をかけた。それしかできなくて、何度も声をかけた。

しばらくして父が駆け込んできた。あともう一人の兄と姉が向かっていたが、間に合うか間に合わないか微妙だった。

「お母さん、今お兄ちゃんとお姉ちゃんがこっちにきてるからね、もうすぐ来るから」

そうやって母の耳元で声をかけた。何度も時計を見ながら二人にメールして、今どこ?とずっと聞き続けた。ひたすら兄と姉が間に合うことを祈っていた。

12時20分頃、もう一人の兄がようやく来た。この時にはもう母の息の回数がどんどん少なくなっていて、何十秒かに1回浅く息を吐き出すことしかできなくなっていた。兄が母のそばに駆け寄って、「お母さん、お母さん」と泣きながら声をかけた。最後に一回だけ息をして母の胸が膨らんだ。「お母さん、生きてる、まだ息してる」と言って兄は泣いた。私も泣いた。

その後もう間もなくして、母は長いこと息を吐き出さなくなった。「お母さん」と小さい声で呼びかけたけど、兄二人も、父も、黙っていた。次に何かを言うのが怖くなった。

隣の部屋から先生が出てきて、心電図が移っている機械を転がしながら、その画面をこちらに向けた。ドラマでよく見るみたいに、一本の直線になった心電図を見せてきた。

「ただ今、心肺の停止を確認しました。あとは、お姉さんがきてから、時間の確認をしましょう」

そう言って、また部屋に戻っていった。

この後に、こんな大きな声で泣いたことはないと思うくらい大きな声を出して泣いた。父も、兄二人も、大きな声を出して泣いた。ずっとずっと泣いて、こんなに人間は涙が出るんだと驚くくらい長い間泣いていた。その日の夜にものすごい頭痛に襲われて、人間は泣きすぎると頭が割れるくらい痛くなるということを知った。

姉は間に合わなかった。姉はその年の3月に子供を産んでいて、まだ8ヶ月の赤ちゃんと一緒に病院に来るのにどうしても時間がかかってしまっていた。

「今〇〇駅に着いた。お母さんは?」とメールが来て、誰も何も言えなかった。返事ができなかった。父が「皆待ってるよ」とだけ返した。あんなに辛い時間は経験したことなかった。姉を待っている間に母の頬に触れたら、少しずつ冷たくなってきてしまっていた。「お母さん、冷たくなってきちゃったね」と兄も言った。

母の心臓が止まってから2時間くらいして、姉がようやく到着した。姉の体の前側には抱っこひもの中にいる甥っ子がいて、姉の顔には既に泣いた跡があった。母を囲んで座っている私達を見て、母を見て、姉はまた泣いた。兄が甥っ子を抱っこひもごと預かって、場所を譲った。母のそばに寄って、姉が激しく泣いた。

「お母さん、ごめんね、間に合わなくてごめんね」と姉は言った。

姉は何も悪くないのに、何度も謝っていた。

姉はきっとこの後実家に皆で帰って泊まることになるだろうということを分かっていて、泊まる準備をしてきていた。8ヶ月の赤ちゃんと一緒にいて、準備なしでは出られなかったと後で私に話してくれた。母の最期に間に合わないかもしれないと分かっていても、姉は母親としての仕事を全うした。その結果間に合わなくて、何が悪いのか。姉は立派な母親になっていた。

それでも、私は母の最期に間に合ったという記憶を持ったまま生きていけるが、姉は間に合わなかったという思いをずっと抱えて生きていくことになる。この二つの違いはきっと大きすぎる。姉と母のことについて話す時も、最期のことについては話せない。私から一生話すことはない。姉にとって一番辛い記憶になっているだろうから。

それでも、唯一救われたのが、姉が来てから、先生が死亡した時間をとってくれたことだ。

「では、皆さんお揃いですので、時間を確認させて頂きます。11月2日、午後2時33分です」

姉は、待っててくれたと聞いて、「良かった、それだけでも本当に良かった」と言った。家族も救われた。家族全員で、母の最期に立ち会った。

 

2年経って、何か変わったのか考えてみる。

毎日していた病院通いがなくなってものすごい喪失感に襲われた。自分自身が葬儀を経験して、葬儀屋として働く姿勢が変わった。毎日仏壇に手を合わせてから出社するようになった。人の言葉に敏感になって、大事な人を失った人間の気持ちが分からない人とは話せなくなった。料理が上手くなった。母が選んで買っていた日用品が痛んで買い換えるようになって、母が使っていたものが少なくなってきた。

毎日毎日母のことを考えていて、自分の気持ちを整理する場所が欲しいと思って、少し前にはてなブログを始めた。

 

ブログを書きたいと思うのは、こういう時です。

今だからこそ、スカイクロラを見て欲しい

 先日、長時間新幹線に乗る用事があった。何か暇つぶしにと思ってなんとなしに手に取った本が、森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズだった。

大抵そういう時の暇つぶしの本というのは、ほんの数十ページも読まずに寝てしまうというのがオチなのに、珍しく全部読んだ。挙句の果てに次の日にはTSUTAYAスカイ・クロラの映画をレンタルしてしまった。

押井守監督作品 映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」公式サイト

まだ公式サイト残ってた。

 

当時映画館にも見に行ったけど、その時は前知識もなかったので、はっきり言って何も分からないまま気が付いたら映画が終わっていたし、意味不明すぎて面白いと感じなかった。それで、これは原作を読まなければ分からないと思って、シリーズ全部を読んだ。森博嗣を知ったのもここからだ。

それに当時は知識もなかったので、押井守が監督ということにも、川井憲次が音楽を作っていることにも気付かなかった。今思うと逆にそこまで知らないのもすごい。あとさり気なくスタッフロールのスペシャルサンクスに庵野秀明の名前があった気がしたんだけど気のせいかな。

 今見てみると、昔見たときに面白くないと感じた理由が分かってきた。

まず、この映画は人と人の会話が少ない。

言葉で語らずに、人と人が同じ場所に一緒にいて黙っているだけで、その関係性を表現しようとしている。これは同じ押井守の作品の「イノセンス」でもあった。必要に喋り過ぎない、というのが押井守流なんだろうか。

それに、イノセンスを観た後だといくつも共通点があった。ハウンドが出てきたり、オルゴールが流れるシーンだったり、それが押井守の「らしさ」なんだろう。それに十年越しで気付いて衝撃だった。

 

スカイ・クロラは、戦闘機に乗るパイロットの話である。パイロットは皆子供で、「キルドレ」という成長しない遺伝子を持つ特別な子供だ。彼らは死ぬことも老いることもなく、空を飛ぶためだけに存在する。

スカイ・クロラの世界は、戦争が終わった世界だ。世の中から戦争がなくなり、平和が実現したために、戦争が必要とされている。作り物ではなく本物の血が流れる戦争をテレビ越しに見ることで、人々は平和のありがたみを実感することが出来る。その為に、彼らは戦闘機に乗り、空に飛び立っていく。

パイロット達は、何も人殺しがしたいわけじゃない。仕事として戦闘機に乗り、淡々と任務をこなしていく。ただ明日も戦闘機に乗りたいから、という理由でなんとなく生きている。

それが映画の中にもよく現れている。空の戦闘は非常に鮮やかで、青空、夕陽に染まった空、雨の降る暗い空、様々な景色の中を躍動感溢れる飛び方をする。大きなエンジン音に機関銃から弾が落ちるシーン、全てが生き生きとしている。

f:id:sasamikue:20171102173354p:plain反対に、地上でのシーンは動きがほとんどない。部屋も廊下も薄暗く色褪せているし、人が喋るときにカメラが固定されて、口元だけが動くシーンが多い。

f:id:sasamikue:20171102173425p:plain

それに、スカイ・クロラの大きな特徴として、「変化のない生活」というのがテーマになっている。パイロット達は成長しないし、人との繋がりも希薄だ。その日一緒に出撃した同じ基地の仲間が撃ち落とされても、次の日には同じように自分も出撃する。常に死が隣り合わせの生き方をしていて、その為に求めるものが少ない。

もちろん同じ人間なので、笑ったり泣いたりもする。煙草を吸って、酒を飲み、出撃した後に娼館に行って女を抱く。基地の近くのドライブ・インまでバイクで行ってミートパイとコーヒーを頼む。そして、次の出撃を待っている。

 

 主人公の函南優一(カンナミ・ユーヒチ)は、基地の指揮官の草薙水素(クサナギ・スイト)と出会う。

f:id:sasamikue:20171102172852p:plain

 二人はやがて恋に落ちる。まるで初めてではないかのように、自然に二人は距離を縮めていく。

それもそのはずで、年を取らないキルドレは、パイロットとしての経験値が無駄にならないよう、死んだ後に記憶と名前を変えて生まれ変わる

草薙は、函南が生まれ変わる前の男を愛していた。その男に殺してくれと頼まれて、銃で撃った。そして、生まれ変わった同じ男をまた好きになる。

f:id:sasamikue:20171102173822p:plain

草薙も年を取らないキルドレだが、昔の上司と関係を持ち、子供が出来た。そして、その子供は今や自分の年齢を超えようとしている。それを知った新人の女性パイロット、三ツ井が信じられないと激昂するが、草薙を昔からよく知る整備士、笹倉がこう諭す。

「彼女はとびきりのエースだったから、生き延びて、仲間達より少しだけ長く生きて、その分だけ多くを見て、考えて、自分や他人の運命に干渉することを覚えたのよ」 

この台詞が、なんとも言えず切ない。人間が生きていて、大人になっていけば、他人に干渉することは当たり前のことだ。それなのに、キルドレパイロット達にはそれがない。いつまでも子供のままで、過去も未来もなくただぼんやりと生きている。そしていつか空で死んでいくことを分かっているから、他人に必要以上に干渉しない。

 草薙は疲れて、諦めていた。そうして、函南に「自分を撃ってくれ」と頼む。しかし、函南は草薙を打たなかった。「君は生きろ。何かが変わるまで」と言って。

f:id:sasamikue:20171102174919p:plain

この後、函南は戦闘機に乗り、外を見ながら、こう独白する。

「いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。

 いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。

 それだけではいけないのか。

 それだけのことだから、いけないのか。」

しかし、函南は敵対するエースパイロットに墜とされる。そして、何も変わらない日々に戻っていく。

 

  十年前に見た時、私はまだ子供だった。庇護され、毎日の生活に何の不安もなく、悩み事と言えば学校での友達関係くらいだっただろうか。その時に見ても、この映画の意味は分からなかった。キルドレなんて、年を取らない子供なんて設定はおとぎ話のように遠かったし、戦闘機に乗って人を殺す世界なんてフィクションだと思ったし、遠い世界の話だと思っていた。

でも今見たら、私とキルドレの抱えていることは同じだと、そう言える。私は年を取るし、人も殺さない。それでも、私とキルドレパイロット達の何が違うのか。

毎日同じことの繰り返しで、進んでるのか分からないまま時間だけが経っていって、息苦しいことに気付かないように毎日を過ごしている。虚無に包まれないように、直視しないように、ただ来る明日を受け止めることしかできない。

いつも通る道でも、違う道を踏んで歩くことができる。いつも通る道でも、景色が同じなわけじゃない。函南はそう言った。前に見たときは何も感じなかったのに、今になって、函南の台詞に胸が詰まった。私はこの台詞を二度と忘れられないだろう。

いつも通る道でも、違う道を踏んで歩く。

いつも通る道でも、景色が違うことに気付く。

それだけで良いと、そう思えるようになりたい。それだけのことでも、きっと本当に大事なことだ。

それだけで、生きていく理由になるんだったら。

 

 

フランシス・ベーコンという男を知りたい

海外旅行にあまり興味がない。

外国の旅番組などを見て、ヨーロッパの石畳の街並みを見たり、海岸に並ぶ白い住宅街を見たりするのは好きだ。海外が好きではないわけではなく、むしろそういった風景を歩いてみたいという気持ちはすごくある。オーロラとかも見てみたい。

ただ、単純にそんな体力がないのと、お金がないのと、日本が好きなので別に外に出なくても……といった感じがあって、海外に対して熱い気持ちがない。いつか行ってみたい気はするけど、別にそこまで行きたくないみたいな……そういう人って多いと思う。

 

ただ、もし行くなら一か所行ってみたいところがある。

アイルランドのダブリンにあるヒュー・レイン美術館。ここは死ぬ前に行ってみたい。ここに、フランシス・ベーコンの生前のアトリエが再現されている(らしい。行ったことないので)。

 

フランシス・ベーコンは1900年代を代表するイギリス人画家で、ほとんど人物画を描いていた。その人物画が、体の一部あるいは全体が大きく歪んでまるで人間ではなく肉塊のように不気味に描くことで有名で、称賛と同じくらいの批判もあったらしい。

francis-bacon.com

こちらにベーコンの絵が多く載ってるので是非見て欲しい。

ベーコンを元々知ったのは、映画「羊たちの沈黙」で、物語後半に出てくる牢屋に磔にされた死体がベーコンの絵を元にしてイメージされたものだ、ということからだった。私は羊たちの沈黙が大好きで、暇さえあれば羊たちの沈黙を流してBGMにしたり、制作秘話を何度も見たり、ハンニバル・レクターの影響でシリアルキラーに興味が湧いたりと、とにかく熱心なファンになった。

(※以下、刺激的な画像)

 

f:id:sasamikue:20170904213450j:image

これが羊たちの沈黙に出てくる警官の磔死体。 

 

f:id:sasamikue:20170904213515j:image

 そしてこれが、モデルにしたベーコンの絵。

映画が好きで、そのイメージを膨らませるためにモデルとされた画家の絵があると言われてとことん調べていたら、気が付かないうちにベーコンのことが大好きになってしまっていた。

ベーコン自身もとても波瀾万丈な人生を歩んでいて、ゲイであるとかダメ男が大好きとか小さい頃に女装しているところを父親に見られて勘当されたとか色々ありすぎてキリがないんだけど、今回はそんな尖りすぎたベーコンのアトリエについての話。

 

冒頭で言っていた、再現されたベーコンのアトリエがこちら。

f:id:sasamikue:20170904214941j:plain

f:id:sasamikue:20170904220303p:plain

 

f:id:sasamikue:20170904220324j:plain

 死ぬほど汚い。 

他の画家のアトリエというものを知らないけど、とにかくすごい。壁にそのまま絵の具が塗りたくられてるし、足の踏み場があるかも分からないし、整理という概念が存在しない。

一番すごいのは、この状態のアトリエを塵ひとつ残さず記録して持ち出して、ヒュー・レイン美術館にそっくりそのまま再現させたらしい。ヒュー・レイン美術館に行くと、透明なプラスチックの仕切り越しにベーコンの生きていた痕跡が見られるのかと思うと、俄然行きたい。こういった作業場の保存は、画家を無暗に崇拝させる行為だとかで批判もあったらしいけど、ベーコンの生き様にこれだけ惹かれる人がいるのだから仕方がない。

 

f:id:sasamikue:20170904213818j:plain

 最後に、アトリエにいるベーコンの写真。

ゴミ山アトリエにいるだけなのに絵になる男。画家なのに自身が絵になってしまう魅力がある。不思議な男です。

ベーコンの絵からは、暴力的ともいえるほどの怒りや悲しみが見えたり、かと思えば当時の恋人ダイアーを描いたものは不思議と柔らかく見える(顔は歪んでるけど)。ベーコンには人を惹き付ける何かがあって、それが絵に現れているし、その生き様がこのアトリエにも表れているように思える。一度で良いから、ベーコンの生きた証を見に行きたい。 

 

ちなみに、2013年にベーコン展が豊田市美術館であったらしい。その頃はベーコンのことを知らなかったので行ってない。そのことを思い出すたびに、過去にベーコン展があったなんて四肢がもげても行きたかったのにという気持ちでいっぱいになる。今度やる時は必ず私に言ってください。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

宇多田ヒカルがまたよく分からないことを言ってる

自分が知らないうちに宇多田ヒカルが二曲も新曲を出していた。最近がっつりネットサーフィンもしないからこんなビッグニュースを見逃していたことにショックを受けた。それはそれとして、宇多田が精力的に活動しているようで本当に嬉しい。

一曲目は、「大空で抱きしめて」。

www.youtube.com

サントリー天然水のCM曲らしい。マジかよ……道と同じじゃん……CMとかやってたの宇多田……テレビ付けないから知らないんだよ……勘弁して……

ポップ調だけど穏やかな曲で、自然の中をバックパック姿で歩く宇多田がすごくマッチしてる。サントリー天然水最高じゃん。一生サントリー天然水買います。

歌詞は、少し夢見がちな女の子が好きな人へ思いを馳せているような内容。可愛い。明るくテンポよく進んでいくけど、時々寂しさを感じさせる。 恋に夢中な女の子が喋っているような歌詞だけど、メロディは大人を感じさせる。好き。

 

もう一曲は、「Forevermore」。

www.youtube.com

ていうか宇多田、ドラマの主題歌とか歌ってたの……マジで聞いてない……毎週宇多田の曲がOPで聴けるならそのドラマ見てたよ……早く言ってよ……視聴率どれぐらいだったか知らないけど宇多田が主題歌だから視聴率50%は固かったんじゃないですかね。見てないけど。

MVは、宇多田がたった一人で踊り続けている、というもの。Forevermoreの歌詞を体全体で表現している。途中で部屋の中心にあるステージに上がり、狭い円の上で激しく体をうねらせて、寝転んで、感情を爆発させている。青い照明に照らされて、宇多田の肌が陶器のような色に見えて、人間味を失って一種の芸術のように見える。

ていうか宇多田マジですごいな、黒のタンクトップとダンサーみたいな黒パンツで、よくわかんない円柱みたいなとこで踊ってるだけでハチャメチャ格好良い。すごすぎる。今何歳?え?34歳?むしろ若返ってない?

曲調は、先程の「大空で抱きしめて」とは違って、シックでシリアスな雰囲気。ヴァイオリンの前奏から入って、後ろで控えめなドラムが鳴るだけで、全体的に宇多田の声を引き立たせるためだけに演奏が存在している感じ。最近の宇多田は歌を大事にしていて、演奏は控えめというものが多いように感じるけど、これもそんな感じに聞こえる。(※全てド素人の感想です)

歌詞も本当に良いことを言っていて、特に「一人きりが似合う私を今日も会えず泣かせるのはあなただけよ」とかはすごく素敵だった。分かる分かる、そう思う相手っているよね、と思わず共感してしまった。その相手は結局サイコパスで倫理観に欠けていたのでズタボロにされて終わったんだけど。

でも、一節だけ、理解できない歌詞の部分があった。

 

友達は入れ替わり服は流行り廃る

私を私たらしめるのは

染み付いた価値観や

身に付いた趣味嗜好なんかじゃないと

教えてくれた

え、自分を自分たらしめるものって、価値観とか趣味嗜好じゃないの?

ここは聴いていて、ん?と考えた。どうやら宇多田は、人生の中で自分たらしめるものが他にあるということを見つけたらしい。私はまだ見つけられていないようで、この部分を今すぐ理解することは出来なかった。

私は今まで、自分の価値観というものを大事にしてきたし、多趣味であるが故に色々なものを吸収し、それが性格、生き方に反映されているのだと思っていた。そして、それらによって人格は形成されていくものだと思っていた。

でも宇多田ヒカルは自分たらしめるものは他にある、と言っている。他とは何なんだろう。今までの過去?自分でも意識していない部分での自分らしさ?それとも、他人から見た「私」が私だ、ということなんだろうか。深すぎる。分からない。

思えば、宇多田ヒカルの曲を聴いて、すぐに理解出来ない歌詞は山ほどあった。

「Stay Gold」の「就職も決まって遊んでばかりいらんないね 大人の常識や知恵身に付けるのも良い」なんて、自分がその歳になるまで実感が湧かなかったし、「For You」の「誰かの為にじゃなく自分の為にだけ優しくなれたらいいのに」とかは、人間関係に疲れた時に聴いたらはっとさせられた。「嵐の女神」は言わずもがなで、母と過ごした時間が頭に広がって、涙なしでは聞くことが出来ない。

もしかしたら、また私が年を取って、何かを経験した時にForevermoreを聴いたら、その時初めてこの歌詞の意味が分かるのかもしれない。他の人がこの歌詞を聴いて、「すごくわかる」と思う人も沢山いるのかもしれない。

宇多田は、いつも自分のずっとずっと先を歩いていて、何年も経った後にその意味を教えてくれる。だから宇多田ヒカルが好きだし、自分にとってただのアーティストじゃない。人生の先輩のような、恩師のような、そんな存在だ。

 

 

自分の声を聞くために来年は日記を付けようと思う

2018年のほぼ日手帳を買った。

来年の手帳のことがネットでポロポロと話題になってるのを見て、そういえば大分前にほぼ日手帳を買って全く埋めることが出来なくて、結局二ヶ月くらいで引き出しの奥で眠らせたことがあったなーなんてことをふと思い出した。

元々机にずっと向かうタイプでもないし、マメな性格とは程遠いし、日記なんてものが続いた試しがなかった。それでも大学生時代にほぼ日手帳のことをネットで知って、「こんなオシャレなものがあったなんて!毎日日記書きたい!使いこなしたい!」という気持ちを爆発させて買った結果、学生時代の私には生活が平坦すぎて何も書くことがなく、白紙のページが増えていくのを眺めて無理だな、と諦めた。

 

でも今年は久しぶりにまた買いたくなった。

出かける暇がなさそうなのでほぼ日ストアでさっさと注文を済ませてしまったので、手元にまだ届いていない。

今回頼んだのはこれ。

www.1101.com

前回もオリジナルにしたので、今回もオリジナルにした。

ロイヤルブルーも魅力的だったんだけど、中のクリーム色が汚れやすいかな、と思ってこちらを選択。

今は持ち歩くこともないだろうしきっと日記形式で使うと思うけど、カズンはさすがにでかすぎるしそこまで書くことはないと思ってやめた。

 

元々日記を続ける持久力もないのに買おうと思った大きな理由は、年齢を重ねるにつれて人生に向き合う時間が増えた、という点から。

学生時代は大学の合間にアルバイトをして、バイト代を全て同人誌即売会に費やし、友達と遊び、予定のない日は昼まで寝て家でダラダラする、と正に死ぬほど高い大学の学費を食い潰すだけの典型的大学生で、自由気ままなストレスフリーの生活をしていたために日記を必要としていなかった。

でも今は、母が亡くなって父と二人の生活になったり、駄目弊社のどうしようもない上司に振り回されたり、仕事上のストレスで白髪が急激に増えたり、それでも仕事は好きで毎日ささやかなやり甲斐を感じながらも転職をした方が良いのか考えたり、偶然出会って付き合った人がサイコパスで身も心も擦り減って胃痛持ちになったり、かと思ったら次に出会った人がバツイチ子持ちでメンヘラ気質だったり、もうとにかく色々ありすぎて人生のスピードについていけない。学生時代はサイクリングぐらいののんびりとした速度だったのに社会人になってから突然150キロは出てるんじゃないかっていう速度。驚きの連続。波しかない。正直休息が欲しい。

そんな速度で勝手に車輪が回るもんだから、とにかく自分がどういう状況に置かれてるかを客観的に判断する必要があって、そういう時に何か紙に書いて整理できたらな〜と以前から考えていた。ほぼ日手帳を買う前も、適当なノートに書き殴ってみたりしていて、文字で一つ一つ出来事を書き連ねていくと「こんな状況だったのか」と改めて驚くことも多い。頭の中で浮かんでる言葉は消えてしまうけど、文字に起こすと消えないから、いくつも羅列していくと「こんなに問題を抱えてるのか」「ならここはこう改善できるな」「これが複合されると危険だから逃げた方が良いな」といったように多面的に物事を見ることが出来る。

 

使えるようになるのは2018年の1月からだから、それまでに手帳をカスタマイズするのも楽しそうだなーとぼんやり考えてる。どうやらカバーの上に付けるクリアカバーが付いてくるらしいので、表紙には大好きなフランシスベーコンの絵でも挟もうか、それともルーヴル展で買ったポストカードを挟もうか、とか色々妄想してる。そうやって好きなものを挟むというのもアリだと分かったので、自分が手に取りたくなるような表紙にすれば続けたくなるかもしれないし、開きたくなる手帳にするのも楽しいかもしれない。

上手く使ってる人はInstagramにアップしたりしてるみたいだけど、きっと私はアップなんかとても出来ないような内容を書くんだろうし、日によってはぐっちゃぐちゃに書くかもしれないし、綺麗にまとめることもできないと思う。それでも良いし、後々になって見返して「この時の自分は辛かったけど、今はそこそこに幸せだぞ~」と言う自分がいることを信じて書いてみたい。

 

なんだかほぼ日手帳の販促みたいになってしまったけど、ただモノが実際良いので、使いこなしてみたいな~と思ってるだけの日記でした。