イエローナイフは朝

それが人生

フランシス・ベーコンという男を知りたい

海外旅行にあまり興味がない。

外国の旅番組などを見て、ヨーロッパの石畳の街並みを見たり、海岸に並ぶ白い住宅街を見たりするのは好きだ。海外が好きではないわけではなく、むしろそういった風景を歩いてみたいという気持ちはすごくある。オーロラとかも見てみたい。

ただ、単純にそんな体力がないのと、お金がないのと、日本が好きなので別に外に出なくても……といった感じがあって、海外に対して熱い気持ちがない。いつか行ってみたい気はするけど、別にそこまで行きたくないみたいな……そういう人って多いと思う。

 

ただ、もし行くなら一か所行ってみたいところがある。

アイルランドのダブリンにあるヒュー・レイン美術館。ここは死ぬ前に行ってみたい。ここに、フランシス・ベーコンの生前のアトリエが再現されている(らしい。行ったことないので)。

 

フランシス・ベーコンは1900年代を代表するイギリス人画家で、ほとんど人物画を描いていた。その人物画が、体の一部あるいは全体が大きく歪んでまるで人間ではなく肉塊のように不気味に描くことで有名で、称賛と同じくらいの批判もあったらしい。

francis-bacon.com

こちらにベーコンの絵が多く載ってるので是非見て欲しい。

ベーコンを元々知ったのは、映画「羊たちの沈黙」で、物語後半に出てくる牢屋に磔にされた死体がベーコンの絵を元にしてイメージされたものだ、ということからだった。私は羊たちの沈黙が大好きで、暇さえあれば羊たちの沈黙を流してBGMにしたり、制作秘話を何度も見たり、ハンニバル・レクターの影響でシリアルキラーに興味が湧いたりと、とにかく熱心なファンになった。

(※以下、刺激的な画像)

 

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これが羊たちの沈黙に出てくる警官の磔死体。 

 

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 そしてこれが、モデルにしたベーコンの絵。

映画が好きで、そのイメージを膨らませるためにモデルとされた画家の絵があると言われてとことん調べていたら、気が付かないうちにベーコンのことが大好きになってしまっていた。

ベーコン自身もとても波瀾万丈な人生を歩んでいて、ゲイであるとかダメ男が大好きとか小さい頃に女装しているところを父親に見られて勘当されたとか色々ありすぎてキリがないんだけど、今回はそんな尖りすぎたベーコンのアトリエについての話。

 

冒頭で言っていた、再現されたベーコンのアトリエがこちら。

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 死ぬほど汚い。 

他の画家のアトリエというものを知らないけど、とにかくすごい。壁にそのまま絵の具が塗りたくられてるし、足の踏み場があるかも分からないし、整理という概念が存在しない。

一番すごいのは、この状態のアトリエを塵ひとつ残さず記録して持ち出して、ヒュー・レイン美術館にそっくりそのまま再現させたらしい。ヒュー・レイン美術館に行くと、透明なプラスチックの仕切り越しにベーコンの生きていた痕跡が見られるのかと思うと、俄然行きたい。こういった作業場の保存は、画家を無暗に崇拝させる行為だとかで批判もあったらしいけど、ベーコンの生き様にこれだけ惹かれる人がいるのだから仕方がない。

 

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 最後に、アトリエにいるベーコンの写真。

ゴミ山アトリエにいるだけなのに絵になる男。画家なのに自身が絵になってしまう魅力がある。不思議な男です。

ベーコンの絵からは、暴力的ともいえるほどの怒りや悲しみが見えたり、かと思えば当時の恋人ダイアーを描いたものは不思議と柔らかく見える(顔は歪んでるけど)。ベーコンには人を惹き付ける何かがあって、それが絵に現れているし、その生き様がこのアトリエにも表れているように思える。一度で良いから、ベーコンの生きた証を見に行きたい。 

 

ちなみに、2013年にベーコン展が豊田市美術館であったらしい。その頃はベーコンのことを知らなかったので行ってない。そのことを思い出すたびに、過去にベーコン展があったなんて四肢がもげても行きたかったのにという気持ちでいっぱいになる。今度やる時は必ず私に言ってください。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

宇多田ヒカルがまたよく分からないことを言ってる

自分が知らないうちに宇多田ヒカルが二曲も新曲を出していた。最近がっつりネットサーフィンもしないからこんなビッグニュースを見逃していたことにショックを受けた。それはそれとして、宇多田が精力的に活動しているようで本当に嬉しい。

一曲目は、「大空で抱きしめて」。

www.youtube.com

サントリー天然水のCM曲らしい。マジかよ……道と同じじゃん……CMとかやってたの宇多田……テレビ付けないから知らないんだよ……勘弁して……

ポップ調だけど穏やかな曲で、自然の中をバックパック姿で歩く宇多田がすごくマッチしてる。サントリー天然水最高じゃん。一生サントリー天然水買います。

歌詞は、少し夢見がちな女の子が好きな人へ思いを馳せているような内容。可愛い。明るくテンポよく進んでいくけど、時々寂しさを感じさせる。 恋に夢中な女の子が喋っているような歌詞だけど、メロディは大人を感じさせる。好き。

 

もう一曲は、「Forevermore」。

www.youtube.com

ていうか宇多田、ドラマの主題歌とか歌ってたの……マジで聞いてない……毎週宇多田の曲がOPで聴けるならそのドラマ見てたよ……早く言ってよ……視聴率どれぐらいだったか知らないけど宇多田が主題歌だから視聴率50%は固かったんじゃないですかね。見てないけど。

MVは、宇多田がたった一人で踊り続けている、というもの。Forevermoreの歌詞を体全体で表現している。途中で部屋の中心にあるステージに上がり、狭い円の上で激しく体をうねらせて、寝転んで、感情を爆発させている。青い照明に照らされて、宇多田の肌が陶器のような色に見えて、人間味を失って一種の芸術のように見える。

ていうか宇多田マジですごいな、黒のタンクトップとダンサーみたいな黒パンツで、よくわかんない円柱みたいなとこで踊ってるだけでハチャメチャ格好良い。すごすぎる。今何歳?え?34歳?むしろ若返ってない?

曲調は、先程の「大空で抱きしめて」とは違って、シックでシリアスな雰囲気。ヴァイオリンの前奏から入って、後ろで控えめなドラムが鳴るだけで、全体的に宇多田の声を引き立たせるためだけに演奏が存在している感じ。最近の宇多田は歌を大事にしていて、演奏は控えめというものが多いように感じるけど、これもそんな感じに聞こえる。(※全てド素人の感想です)

歌詞も本当に良いことを言っていて、特に「一人きりが似合う私を今日も会えず泣かせるのはあなただけよ」とかはすごく素敵だった。分かる分かる、そう思う相手っているよね、と思わず共感してしまった。その相手は結局サイコパスで倫理観に欠けていたのでズタボロにされて終わったんだけど。

でも、一節だけ、理解できない歌詞の部分があった。

 

友達は入れ替わり服は流行り廃る

私を私たらしめるのは

染み付いた価値観や

身に付いた趣味嗜好なんかじゃないと

教えてくれた

え、自分を自分たらしめるものって、価値観とか趣味嗜好じゃないの?

ここは聴いていて、ん?と考えた。どうやら宇多田は、人生の中で自分たらしめるものが他にあるということを見つけたらしい。私はまだ見つけられていないようで、この部分を今すぐ理解することは出来なかった。

私は今まで、自分の価値観というものを大事にしてきたし、多趣味であるが故に色々なものを吸収し、それが性格、生き方に反映されているのだと思っていた。そして、それらによって人格は形成されていくものだと思っていた。

でも宇多田ヒカルは自分たらしめるものは他にある、と言っている。他とは何なんだろう。今までの過去?自分でも意識していない部分での自分らしさ?それとも、他人から見た「私」が私だ、ということなんだろうか。深すぎる。分からない。

思えば、宇多田ヒカルの曲を聴いて、すぐに理解出来ない歌詞は山ほどあった。

「Stay Gold」の「就職も決まって遊んでばかりいらんないね 大人の常識や知恵身に付けるのも良い」なんて、自分がその歳になるまで実感が湧かなかったし、「For You」の「誰かの為にじゃなく自分の為にだけ優しくなれたらいいのに」とかは、人間関係に疲れた時に聴いたらはっとさせられた。「嵐の女神」は言わずもがなで、母と過ごした時間が頭に広がって、涙なしでは聞くことが出来ない。

もしかしたら、また私が年を取って、何かを経験した時にForevermoreを聴いたら、その時初めてこの歌詞の意味が分かるのかもしれない。他の人がこの歌詞を聴いて、「すごくわかる」と思う人も沢山いるのかもしれない。

宇多田は、いつも自分のずっとずっと先を歩いていて、何年も経った後にその意味を教えてくれる。だから宇多田ヒカルが好きだし、自分にとってただのアーティストじゃない。人生の先輩のような、恩師のような、そんな存在だ。

 

 

自分の声を聞くために来年は日記を付けようと思う

2018年のほぼ日手帳を買った。

来年の手帳のことがネットでポロポロと話題になってるのを見て、そういえば大分前にほぼ日手帳を買って全く埋めることが出来なくて、結局二ヶ月くらいで引き出しの奥で眠らせたことがあったなーなんてことをふと思い出した。

元々机にずっと向かうタイプでもないし、マメな性格とは程遠いし、日記なんてものが続いた試しがなかった。それでも大学生時代にほぼ日手帳のことをネットで知って、「こんなオシャレなものがあったなんて!毎日日記書きたい!使いこなしたい!」という気持ちを爆発させて買った結果、学生時代の私には生活が平坦すぎて何も書くことがなく、白紙のページが増えていくのを眺めて無理だな、と諦めた。

 

でも今年は久しぶりにまた買いたくなった。

出かける暇がなさそうなのでほぼ日ストアでさっさと注文を済ませてしまったので、手元にまだ届いていない。

今回頼んだのはこれ。

www.1101.com

前回もオリジナルにしたので、今回もオリジナルにした。

ロイヤルブルーも魅力的だったんだけど、中のクリーム色が汚れやすいかな、と思ってこちらを選択。

今は持ち歩くこともないだろうしきっと日記形式で使うと思うけど、カズンはさすがにでかすぎるしそこまで書くことはないと思ってやめた。

 

元々日記を続ける持久力もないのに買おうと思った大きな理由は、年齢を重ねるにつれて人生に向き合う時間が増えた、という点から。

学生時代は大学の合間にアルバイトをして、バイト代を全て同人誌即売会に費やし、友達と遊び、予定のない日は昼まで寝て家でダラダラする、と正に死ぬほど高い大学の学費を食い潰すだけの典型的大学生で、自由気ままなストレスフリーの生活をしていたために日記を必要としていなかった。

でも今は、母が亡くなって父と二人の生活になったり、駄目弊社のどうしようもない上司に振り回されたり、仕事上のストレスで白髪が急激に増えたり、それでも仕事は好きで毎日ささやかなやり甲斐を感じながらも転職をした方が良いのか考えたり、偶然出会って付き合った人がサイコパスで身も心も擦り減って胃痛持ちになったり、かと思ったら次に出会った人がバツイチ子持ちでメンヘラ気質だったり、もうとにかく色々ありすぎて人生のスピードについていけない。学生時代はサイクリングぐらいののんびりとした速度だったのに社会人になってから突然150キロは出てるんじゃないかっていう速度。驚きの連続。波しかない。正直休息が欲しい。

そんな速度で勝手に車輪が回るもんだから、とにかく自分がどういう状況に置かれてるかを客観的に判断する必要があって、そういう時に何か紙に書いて整理できたらな〜と以前から考えていた。ほぼ日手帳を買う前も、適当なノートに書き殴ってみたりしていて、文字で一つ一つ出来事を書き連ねていくと「こんな状況だったのか」と改めて驚くことも多い。頭の中で浮かんでる言葉は消えてしまうけど、文字に起こすと消えないから、いくつも羅列していくと「こんなに問題を抱えてるのか」「ならここはこう改善できるな」「これが複合されると危険だから逃げた方が良いな」といったように多面的に物事を見ることが出来る。

 

使えるようになるのは2018年の1月からだから、それまでに手帳をカスタマイズするのも楽しそうだなーとぼんやり考えてる。どうやらカバーの上に付けるクリアカバーが付いてくるらしいので、表紙には大好きなフランシスベーコンの絵でも挟もうか、それともルーヴル展で買ったポストカードを挟もうか、とか色々妄想してる。そうやって好きなものを挟むというのもアリだと分かったので、自分が手に取りたくなるような表紙にすれば続けたくなるかもしれないし、開きたくなる手帳にするのも楽しいかもしれない。

上手く使ってる人はInstagramにアップしたりしてるみたいだけど、きっと私はアップなんかとても出来ないような内容を書くんだろうし、日によってはぐっちゃぐちゃに書くかもしれないし、綺麗にまとめることもできないと思う。それでも良いし、後々になって見返して「この時の自分は辛かったけど、今はそこそこに幸せだぞ~」と言う自分がいることを信じて書いてみたい。

 

なんだかほぼ日手帳の販促みたいになってしまったけど、ただモノが実際良いので、使いこなしてみたいな~と思ってるだけの日記でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ニーアオートマタはアクションゲーではなく散歩ゲー

www.amazon.co.jp

 

ニーアレプリカント神ゲーだったので、ずっと発売を待ってたんだけど、バタバタしてたらプレイが今になってしまった。

トーリー、音楽、戦闘システム、そこらへんは色んな人が評価してるし全て最高なので、とにかく世界観の美しさを伝えたい。

ニーアオートマタは、機械生命体に地球を侵略された後の地球が舞台なので、全体が廃墟化している。なので、廃墟フェチは絶対にやった方が良い

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メインの廃墟都市。

スクショの撮り方が下手なのでもっと綺麗なところがあるのに伝えられないのが申し訳ない。

 

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集合住宅地廃墟。通称マンモス団地。

砂漠の中で風化している感じが出てて、個人的に一番好き。

小さいブランコやすべり台もあって、すごく物悲しい。

 

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水没都市

ここも非常に雰囲気があって素晴らしい。建物の中から水が出てる感じが最高。地盤沈下で未だに沈み続けてるという設定らしい。

 

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遊園地廃墟。

ディズニーオタクの友人が感動してぼーっと打ち上がってる花火を眺めてたらしい。

他にも色んな場所があるので、是非自分の足で歩いてみてほしい。

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トーリーは終わったので、次はハードでやりながらスクショを撮る旅にでも出ようかと思う。

トーリーも進めたいしサブクエも充実してるからそっちもやりたい、武器も沢山あるから集めたい、でも流れる音楽も良いからすぐに進みたくない、そして綺麗な場所があるとスクショを撮るのに忙しい……

最近のゲームはすぐに終わってしまうとか聞いたけど、ニーアオートマタはやりたいことが多すぎて全く終わらない。ストーリーも文句なし、スタイリッシュ戦闘システム、音楽は前作に引き続きニーアの世界観を見事に引き出してる。

こんな最高なゲームがありますか?いや、ない。

皆ニーアオートマタやりましょう。ダイレクトマーケティングでした。

 

シリアルキラー展Ⅱ前期・後期に行ってきた

www.vanilla-gallery.com

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2016年に初めてヴァニラ画廊で展覧会が開催されてから、もう一度行きたくてたまらない展示会だった。また今年も開催される、しかも前期と後期で作品を分けて開かれると聞いて、どちらも絶対行こうと決めていた。

2016年の時は、Twitterシリアルキラー展の情報を知った。その前にエドワード・ゴーリーの展覧会にも行っていたので、元々ヴァニラ画廊のことは知っていた。その後に開かれたラブドール展も最高だった。ヴァニラ画廊はこういったアブノーマルな展覧会ばかりを開いていて、それが私の性癖と非常にマッチしているのでありがたい限りである。いつもありがとうございます。

 

シリアルキラー展は、実在する殺人鬼達が残した絵や葉書、手紙、当時の新聞記事、中には下着までもが展示されている。その異空間にある種のエネルギーを持っているそれらが壁いっぱいに飾られていて、広いとは言えない二つの展示室を回るだけで一時間ほどかかる。

去年行ってはいたけど、今年は新しく見る作品も多くあった。特に一番印象に残ったのがウェイン・ローだった。

シリアルキラ-は、家庭環境が不遇である場合が非常に多い。両親がドラッグやアルコール依存症なのは当たり前、虐待、離婚、貧困、そういった問題を抱えていたシリアルキラーが多い中で、ウェイン・ローはそういった問題が見当たらなかった。父親は空軍戦闘機のパイロット、母親はバイオリンの指導者、ウェイン・ローも7歳でバイオリニストとしてデビュー、その後バスケットチームにも所属、成績優秀。経歴だけ見ていると何の問題もないように見える。

そんな彼も銃乱射事件を起こして二名死亡、四名の重症者を出す事件を起こしたが、彼の作品として展示されているのはかなり奇妙な写真だった。海をバックに佇む女性や、道の真ん中で楽しそうにジャンプする女性などの写真など、その顔の部分が糸で刺繍して見えなくなっている。他にも女性が座っている写真では、顔や手など肌が露出している部分が全て黄色で塗りつぶされていたり、かなり異質だ。見た時に狂気を感じて思わず鳥肌が立ってしまった。実際に見てみないと伝わりづらいとは思うけど、公式ホームページで一点だけウェイン・ローの写真が載っていたので是非見て欲しい。

ウェイン・ローが殺人に至ったのは、神や悪魔の影響ではなく、自らの怒りの産物だと語ったらしい。刑務所内でのインタビューに答える際に、若い人達に何か伝えることはあるかと問われた時に、

「あなたが愛しているものが奪われたくないのであれば、他の人の愛を奪わないことです。――もう誰も私の話など聞かないと思いますが。」

と答えたという。最後の自虐的な言い方が気になって仕方がない。ウェイン・ローはどんな人だったんだろう。何を思って人を殺したのか。ウェイン・ローは何かを奪われたんだろうか。

 

今回、シリアルキラー展二回目ということで、どうしてももう一度見たいものがあった。エドワード・ゲインの署名入りの聖書。手の平サイズの本当に小さな聖書で、長年ずっと肌身離さず持っていたようにボロボロになっている。エド・ゲインは、狂信的なキリスト信者だった母親の元で育って、性的なことは汚らわしいと言われ続け、他の人と交流することも許されなかった。そうして歪んで成長してしまったエド・ゲインの人格の破片がこのボロボロの聖書にあるんじゃないかと思うと、目が離せなくなってしまった。それが今回も展示されていて、もう一度会えた喜びでずーっとショウケースの前で眺めていた。

元々「羊たちの沈黙」の映画を見てエド・ゲインのことを知って、展示会で彼の名前があるのを見て心躍った。エド・ゲインが実在していた証が見られる。非常にドキドキしながら展覧会に行ったら、なんとエド・ゲインの墓拓があった。墓の拓ってなんだ。魚拓でもあるまいし、墓の拓なんて取るのか。新しすぎる。今回も後期にしっかり飾ってあった。ちなみに、他のシリアルキラーでは遺髪とか書いて飾ってあるのもあって、なんというか、H.N氏のコレクター魂には脱帽という感じだった。

 

今回は後期も含めると三回目というのもあって、後半になってくるといくつか見たことのある作品もあった。H.N氏がシリアルキラーの内面に触れられるような作品を意識して展示していると語っていたので、新しく見に来る人達のために同じものも飾っていたのだと思う。日常的に見るものではないので、同じ作品が飾られていても何度でも見たい。

展覧会を開いたコレクターのH.N氏は、パンフレットの前書きで、シリアルキラーにまつわるものをコレクションする複雑な心境を語っていた。誰に見せるわけでもないコレクションが1000点も超えて、一体何をやっているのだろうと漠然とした感情に襲われるという。彼らの物語に踏み込み過ぎないように、普段はコレクションを自宅の一番奥の部屋に閉じ込めているらしい。シリアルキラー達も気になるが、H.N氏自身のことも気になってしまう。どんな気持ちでコレクションしているのか、どんな人なのか。あんなに力を持っている作品たちと一緒にいて、自分が壊れないんだろうか。きっと自分をコントロールするのが上手な人なのだと思う。私がもし「エド・ゲインの聖書をあげるよ」と言われてもきっと受け取れないと思う。30分でも3時間でも眺めていられるけど、ずっと一緒にいられる自信はない。エド・ゲインの見えない力みたいなものが強すぎて、きっと自分が不安定になってしまう。

私も、シリアルキラー達が遺したものに何故心惹かれるのかはわからない。興味本位、怖いもの見たさ、どちらもある。でも一番は、シリアルキラー達が同じ人間であったことを感じたいと思っている。同じように息をして、ものを食べて、誰かを好きになった人もいたのに、どこか根本的に何かが違ったのか、それとも少し何かが変れば自分も同じような道を歩むのか、それを作品たちを通じて感じ取りたい。

シリアルキラー展に展示されている作品はどれも強いエネルギーを持っているから、対峙しているだけで相当の体力を使う。出た時はいつもへとへとになっていて、必ず帰り道に喫茶店に寄ってしばらく体と心を休ませなければいけない。

きっとまたシリアルキラー展があったら、懲りずにせっせと足を運ぶんだろう。そして、シリアルキラー達の内面に触れたいような、触れたくないような、自分でもよくわからない気持ちを持て余して、見終わった後には清々しいようなもやもやしたような感情になるんだろう。それが気持ち良いので、結局どうしようもないのだ。

 

 

 

本を買うのが下手なのを直したい

お題「やめたいこと」

 

本を買うのが下手だ。

本は良い。漫画はもちろん大好きだし、小説も好きだ。画集もついつい買ったりするし、雑誌も時々見ると面白い。美容院で暇つぶしくらいにしか見ないんだけど、あれって色んな特集載ってるよね。グルメ情報とか占いとか季節のお出かけスポットとか。これ何?服の雑誌?

本はタブレットでも読めるようになったけど、やっぱり紙媒体が好きだ。画面は目が疲れるし、昔からの紙の触り心地が良い。ページを捲る音とか、紙それぞれの匂いとか、装丁とか、次のページに行った時の見開きの表現とか、とにかく紙は良い。

 

その中でも、漫画は特によく買う。

休みの日に出かけた日はとりあえず本屋に寄るし、好きな漫画の発売日には必ず本屋に行くし、新しい土地に行ったらまずどこに本屋があるか探す。

集めてる種類も多いから新巻が出る時期には5、6冊くらいまとめて買う。好きな本は発売日を調べておくし、Amazonの検索履歴からおすすめされる一覧は全部漫画の新巻ばかりだ。助かります。

でも、やっぱり本屋自体が好きだ。本屋によって並べ方も違うし、推してる作品も違うし、その本屋の特徴っていうのが出る。マイナーな作品もちゃんと置いてあると「幅広く手出してるなぁ」って思うし、駅の中にある小さな本屋には旬のものしか置いてなかったりするから、今のトレンドがわかりやすい。紀伊国屋とかジュンク堂みたいな大きな書店では画集とかも置いてあるから、そういうところをふらふらしてぱらぱら捲るだけで楽しい。店員さんが書いたポップを見て「この人もこの本好きなんだな」って思ったり、作者のサイン入り色紙が飾ってあるのを眺めたりするのも好きだ。それぞれの本屋に空気があるし、その違いを味わうのが好きだ。

 

でも、少し困ってるのが、本屋での買い物の仕方だ。

本が好きだから、本屋に行って買う時にある程度の量を必ず買ってしまう。

例えば、好きな漫画の新巻が出たから本屋に行く。目当ての本を一冊取ったら、そのままレジに行くことができない。何故か自分は昔から「漫画は三冊以上まとめて買う」という謎ルールを無意識で設けていて、一冊でレジに持って行ったことがほとんどない。少なくても二冊、大体は三冊くらい買う。目当ての本を一冊と、前から気になってた本だったり、最近続きを買ってない本の続きだったり、電車で出かける前や美容院に行く時に読む用に買うのをとっておいた本を買う(これ私以外の人もやるんですかね)。大体は漫画だけど、どうしても漫画で買いたい本がなかったら小説を買う。

なんというか、一種の強迫観念のレベルに達していて、とにかく一冊で本を買えない。

 

学生時代にアルバイトを始めてからこの傾向は顕著になって、そのせいで冗談抜きに本で床が抜けそうになってしまう。なので、ある程度溜まると、「この本は一生手元に置いておいて読むものか?」と分別を始める。そして大体100冊前後くらいの単位で売ってる。そうしないと本棚に到底収まりきらない。

今の会社に入ってから、本棚に本が入らないことを同僚に話したら、日曜大工が得意な同僚が家に来てオーダーメイドで本棚を作ってくれた。天井までぴったりくっつく背の高さで、以前のように床に本のタワーがいくつもそびえることはなくなった。ありがたい。

 

いい加減いい年になってきたので、そういう衝動買いみたいなのはやめようと思い、最近は買う前に心の中で「これを買ってずっと手元に置いておくのか?あの本棚にレギュラー入りするか?お前絶対今だけ読みたいだけだろ?」と問いかけるようにしている。本屋に来る他の人は当たり前のようにできるのかもしれないけど、これが最近になってようやくできるようになってきた。昔よりも売る冊数は大幅に減ったし、とりあえず部屋の床は抜けてない。

 

昨日の夜突然思い立って大掃除をしてたら、もう随分読んでない漫画があったので売ることにした。なるべくなら買ってずっと手元に置いておけるような、物を大事にする人になりたいんだけど、でも色んな本に出会いたいし「読んでみたい」と思った気持ちを大切にしたいし、そう思わせた作者にそのお金がいくなら素敵なことだし、もっと色んな話を色んな人に描いて欲しいという気持ちもある。だから買うことを制限することが全て良いことではないかもしれないけど。これはまた別の話だね。

 

まぁ、読みたいと思わせる本が多いっていうことは良いことだし、文字は好きだ。でも、本来の自分のペースで本を買いたい。そして、一冊一冊を大切にして、どれも手離せないほど大切だって言い切りたい。そんな本に囲まれて暮らしたい。

今日もきっと帰りに本屋に寄る。馴染みの本屋で、昨日も見たいつもの新刊コーナーをチェックして、しばらくふらふらすると思う。それが楽しい。

 

 

大人の定義

最近、弊社に新人が入ってきた。

 万年人不足なので新しい戦力は大歓迎だし、それによって教える手間が増えたとしても、まぁ、なるようにしかならない。地獄のような繁忙期には新人が付いてこれるかは不安だけど、なんていうか、頑張れ。出来るだけフォローはする。

 

それはそうとして、その新人は20代女性。自分より3〜4歳ほど年上らしい。前の会社を辞めてうちで正社員を希望して入ってきたとか。

その人が、なんていうか、幼い。

元々顔立ちも童顔でメイクもほとんどしてないというのもあるけど、言葉遣い、声のトーン、立ち振る舞い、そこらへんを総合してみると、ものすごく幼く見える。下手したら中学生くらいを彷彿とさせる。

朝に「おはようございます」と挨拶をする時の抑揚のなさとか、声の小ささとか、「ありがとうございます」と言われた時のなんとなく流れるような喋り方とか、お昼を食べる時にあまり喋ろうとせずスマホをずっと触っているのとか。元々大人しい女性なんだと思う。

なんかこう言うと、新人に目を付けてる嫌な先輩と思われそうだけど、そういうつもりではない。別に昼休憩くらい好きにしても良いと思うけど、入ってきて間もないのに他の人と交流しようとか、そういうのはないのかなぁ〜なんて思ったりした。自分の方が年下なのに、「なんか今時の若者って感じだな」と感じてしまった。

 

子供っぽいとか大人っぽいとかって、皆どこで線引きをしてるんだろう。

体つきはあると思う。ひょろっとしてた男の子から、肩幅が広がったり腕が太くなったりしてガタイの良い男性になる。ぺたんこの体だった女の子がくびれてきて、メイクを覚えてお洒落な服を着て女性らしくなっていく。でもきっとそれだけじゃないし、外見だけなら「あいついい年して」なんて言葉もない。

大人というのは、社会人らしい振る舞いができるか、ということなのかもしれない。愛想を覚えて誰かを褒めるようになったり、初対面の人とでもそれなりに話ができるようになる。嫌な気分になってもおおっぴらには出さず、相手に上手く伝える。

つまり、コミュニケーション能力だと思う。社会に出れば多種多様な人がいて、その人達にある程度合わせてやっていくことができるか。些細なことで癇癪を起こしたり、自分の思う通りにならなくて怒るような人は勿論上手くいかないし、「あいつはいい年してガキみたいだ」と言われてしまう。それは内面が子供から成長していないから。

それでもそういう人も沢山いる。自分の仕事が上手くいかなくて周りに当たったり、すぐに部下に怒鳴ったり、その直後にコロッと機嫌が直ったりする人もいる。そんな人に振り回されてる人もいる。全くもって難しい。

勿論、コミュニケーション能力だけじゃなくて、人生経験というのはあると思う。そういうところから出る深みみたいなものがその人の魅力や人となりになる。だから一概には言えないけど、結局色んな経験をしてる人なら、それに応じて何らかの変化があるようにも思う。彼女にはそういうものがなかった。なんていうか、まっさらに感じられた。

 

彼女は、何故幼いと感じたんだろう。

少し控えめに喋る感じとあまり抑揚のないトーンは、どこか学生の頃を思い出させる。大人になると、嫌でも喋り方が身につくと思っていた。盛り上がってる場に上手く乗る方法だったり、どう話せば相手が好ましく思うかだったり、人と話して生きてくるとそういうものが自然と洗練されていく。だから彼女はあまりコミュニケーションを得意とせずにここまで来たんだろうと感じられた。

 

コミュニケーションは難しい。本当に。嫌いな人は嫌いだし、できるだけ人と関わらないで生きていきたいという人もいる。

磨き方というのも正解がない。「人と話せるようになる本」とか、「初対面の人と3分で打ち解ける方法」とか、そんな特集が本屋に行くとゴロゴロ転がってる。皆苦手だし、困ってるのかもしれない。日本人がディベート下手というのもあるかもしれない。

海外の多くの国では、一人飯というものが習慣にないらしい。食事は誰かと共にするのが当たり前だし、一人飯など生きてる間にしたことないという人がほとんど。レストランなどで一人で食事をしていると隣の人にチラチラと見られて、しまいには「なんで一人なんだい?一緒に食事をするかい?」と初対面の人に誘われるほど、一人での食事に習慣がない。それほど人との交流に重きを置いている。エレベーターに乗り合わせた人と短い間でも会話を交わすらしいし、エレベーターに黙って乗ってる日本人はとても奇妙に見えるらしい。

日本では喋る機会が少ない。公共の場では知らない人と喋らなくても良いようになっている。喋り下手が多くなってしまうのも無理はない。

 

話が大分逸れてしまった。

 

まぁ、ここまで書いといてなんだけど、別に喋るのが苦手でも得意でもなんでも良いと思うし、日本が駄目だとか言ってるわけじゃないし、日本はむしろ好きだし、日本のオタク文化最高だし、ご飯は美味いし、海外旅行よりも国内旅行に行きたいし、何が言いたいかと言うと、年上の新人さんには頑張って欲しいということと、これを書いていて電車を乗り過ごしたということです。

おしまい。