宇多田ヒカルの歌は歌として聴けない
去年の秋頃に、宇多田ヒカルが8年ぶりにアルバムを出して大ヒットした。
私も昔から宇多田ヒカルの歌が好きで、学生時代なんかはiPodに入れて毎日のように聴いていた。カラオケでも宇多田ヒカルばかり歌い、辛い時には宇多田ヒカルを聴いて励まされていた。
宇多田ヒカルが人間活動と評して休止していた明けに出たのがこの「Fantôme 」だった。発表されてから非常に楽しみにしていたし、発売まで指折り数えて待っていた。けど、今までとは全く異なる気持ちで新しいアルバムを聴くことになった。
二年前、母を癌で亡くした。母の身体に異変があってから三カ月ほどで癌が判明し、それから一年と経たずに癌の進行に押されて亡くなってしまった。母の身体が弱っていくのを隣でずっと見ていた一年は、地獄だった。母のことを人前で話すことにほんの少しだけ慣れてきたのがつい最近で、まだまだ受け入れるには時間がかかると思う。
そんな時に、宇多田ヒカルが新しいアルバムを世に出した。当時、「これは亡くなった藤圭子さんに宛てたアルバムだ」なんて話があちこちから上がっていた。事前にCMやらニュースZEROのエンディング曲やらで使われてたみたいだが全く聞いていなかったので、アルバムで全ての曲を初めて聴いた。というか聴いてみて驚いた。
全然聴けねぇ。
なんだこのアルバム。一曲一曲が殴りかかってくる。いちいち歌詞が内臓をえぐってくるみたいでまともに聴けたものじゃなかった。
中でも、七番目に収録されてる「真夏の通り雨」。
誰かに手を伸ばし あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい 溢れて 溢れて
母がいなくなってから、毎日この気持ちだ。すげぇ。なんで分かるの?今の自分にドンピシャすぎて衝撃だった。
生きてるうちに話したかったこと、教わっておきたかったこと、報告したいこと、毎日毎日生まれては行き場がなくなって消えずに燻っている。面白いこと、悲しかったこと、驚いたこと、そんな些細なことを毎日話していた母に言えなくなってしまったことが悲しくて、そんなことを考えるだけで今でも涙が止まらなくなる。
生きて、会って、話をする。他には本当に何もいらなかった。仕事上がりに疲労の溜まった体を引きずって病院に毎日通い、面会時間ギリギリの30分だけ一緒にいて、「家のことはちゃんとやってるよ、だから心配しないで」と言って母を安心させる。それが日常だった。だんだん弱っていく母を見ながら、それでも会って、母の手に触れるだけでよかった。それ以外に何もいらないというか、それしかない生活だった。
そんな当時のことが、宇多田ヒカルの歌を聴いてるだけで走馬灯のようにぶわーっと広がって、比喩じゃなく目の前が見えなくなる。早朝の通勤中なんかに気を抜いて聴いてしまったらもうアウトで、目を真っ赤にして出社する羽目になる。だから今でも迂闊に聴けない。
真夏の通り雨はミュージックビデオも購入したけど、それも迂闊に見れない。これも見てるだけで涙が出てしまう。
思うんだけど、最近の宇多田ヒカルのミュージックビデオは、少し前に出た桜流しもそうだけど、宇多田ヒカル本人は出ずに風景や不特定多数の人間の日常が映し出されるような映像になっている。真夏の通り雨のミュージックビデオは、ただ人々の日常が映し出されているだけなのに、それがどれだけ尊いものなのかを知ってしまった今では、そんな何気ない風景の映像だけでも自然と涙が出てくる。それはきっと宇多田ヒカルもその生活の尊さを知っているからじゃないかと勝手に想像している。
夕方に手を繋いで帰る親子、夏に花火をする子供達、早朝に漁船に乗って海に出ていく男性、その人達にとって当たり前のことでも、突然その生活がなくなってしまうこともある。それが分かってからは、その当たり前の生活がどれだけ脆くて、美しくて、大切なものか。もっと早くそれが当たり前じゃないということに気付きたかった。
宇多田ヒカルが歌っているのは歌じゃなくて、人生というか、空気というか、何かそんなものだと思う。ただの言葉じゃなくて人生そのものを歌ってるから、昔のように軽い気持ちで聴いてはいけない。簡単に殺されてしまう。
いつか、「嵐の女神」を聴きながら、何も考えずに口ずさめるようになりたい。それには、まだ当分時間がかかる。
たくさんの愛を受けて育ったこと
どうしてぼくらは忘れてしまうの
お母さんに会いたい
生活
ここ数年で人生が目まぐるしく変化してるのもあって、それを適当に書き殴ったりアレする場所があるとアレかなーということでアレすることにした。
人生について、性癖を満たすための話、終わりつつある弊社についてなどを思いついた時に書く予定だけど、マメな性格じゃないので続かないかもしれない。
期待せずにやっていこうというアレです。
ではもう眠いのでアレします。おやすみなさい。